京都 久御山でトラックやダンプの架装~修理ならグットラック・JP株式会社「グットラック・JP株式会社の歩...ページ」

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HISTORYグットラック・JP株式会社の歩み

01ものつくりの始まり

ものつくりの始まり

私は、愛媛県の高校を卒業後、大手自動車メーカーの本社実験部に入社しました。
ここでは乗用車の車体や車内設備の強度の実験を日々繰り返しておりました。


仕事には満足しておりましたが、今よりもお客様の近くで働きたいという想いから、退職し関東で有数のカーショップに就職することにしました。
当時は今のように大手カーショップは無く、有名店ということもあり全国から様々なお客様が訪れ、仕事に明け暮れる毎日でした。
一通りの技術を習得し終えたころ、更に違う分野の技術を学びたいと考えるようになります。

02トラック架装との出会い

トラック架装との出会い

ちょうどその頃親族からの紹介もあり、ダンプカーなど特装車を専門に扱う京都の会社に転職することとなります。乗用車からトラックと扱うものは変わりましたが、これまでの経験を活かし業務はスムーズに進められ、今の事業の原点となる、パワーゲート取り付け技術を習得しました。


更に技術を磨く為に就業後、トラック架装を専門に行っていた会社で夜な夜なパワーゲートの取り付けを手伝いました。
お客様の要望に合わせ、一つ一つ手づくりする架装業に強く惹かれるようになります。
本当にやりたかった、「ものつくり」に触れた気がし、初めて心から楽しみながら仕事に就いていたことを覚えています。
トラック架装業が天職だと確信した私は、手伝っていたこの会社に転職することにしました。
仕事は順調でトラック架装にまつわる様々なことをここで学びました。
充実した日々を過ごしていましたがある日大きな岐路に立たされることとなります。
当時働いていた会社の元請け業者が地方に移転することとなり、同じく移転を迫られましたが、敢え無く解散することとなってしまいました。
その後この一件が有限会社近畿車輌の前身となる、三浦鈑金の立ち上げのきっかけとなります。

03三浦鈑金 創業

会社が閉鎖することとなり路頭に迷うこととなりました。
そんな時、親交のあったディーラーの方から独立するべきと助言を頂きましたが、突然のことで開業資金も満足にありません。
開業したい気持ちはありましたが、どうしようもなかった為半ば諦め掛けていた時奇跡が起こります。


勤めていた会社では有難いことに私にお客様がついてくださるようになっておりました。
そのお客様よりトラック架装のご依頼をいただけることとなりました。
なんと三名のお客様から同時にお話を頂いたのです。
また、独立に踏み出せなかった事情をご存知だったこともあり、架装費用の一部を、これで事業を始めるようにと先払いで託してくださいました。


様々な方からの助けや後押しもあり、平成5年2月22日、三浦鈑金を立ち上げる事となりました。

三浦鈑金 創業

04倒産の危機

倒産の危機

創業後まもなくは、他の工場の機械を借りながら体一つで作業していました。
資金繰りは潤沢とは言えませんでしたが、少しづつ機材を買い揃え、事業は徐々に軌道に乗り始めていました。


ご依頼いただく件数も順調に増え、当時の工場では手狭になり始めたので工場傍に駐車場を借りながら業務を行っておりました。
しかしその後、突如苦境を迎えることとなります。
駐車していたトラックが盗難被害に遭い、駐車場に保険をかけていなかった為、突如多額の負債を抱えることとなるのです。
一時は工場閉鎖も視野に入れておりましたが、親族の助けもあり、銀行からの借り入れをすることが出来、何とか事なきを得ることが出来ました。
これ以上人に迷惑をけるわけにはいかない。その一心で休みを返上し、工場に泊まり込んで日夜業務を行いました。
この苦労の甲斐あり、7年間での返済予定だったものを4年間で返済することが出来、後の事業拡大に至る礎となりました。

05有限会社 近畿車輌へ事業拡大

有限会社 近畿車輌へ事業拡大

年中無休、昼夜問わず働き続けていたこともあり、お客様の数が増え、ご依頼を頂いても受け入れ態勢が整っておらず、お待ちいただく事もしばしばでした。
この時私は数多くのお客様のトラック架装に携わらせていただいた中で、納車までの工程に疑問を感じるようになっていました。
よりスムーズにお客様にお届けしたい。
通常納車までの間、架装を行い、別の工場で塗装を行い、また別の工場でシートを取り付けと、お客様には多くの時間と手間がかかっていました。
この問題を解決すべく、工場を拡大し一貫して工程を仕上げられるよう工場内に必要な作業ブースを併設する事を決意します。
銀行からの借り入れを早期完済したことがきっかけで追加融資が可能となり、念願の移転を実現させることが出来ました。
平成12年4月18日、現在の場所にて三浦鈑金改め、有限会社近畿車輌として再スタートを切ることになりました。

06景気の波に翻弄される

有限会社近畿車輌として事業拡大後、順調に業務を送っていました。
少しずつ工場の敷地も拡大していき、多くのトラック架装を請け負わせていただいておりました。
しかし、これからだと思っていた矢先、2008年世界同時不況、リーマンショックが起こります。
不況の波は例外なくこの業界にも押し寄せました。実に多くの工場の閉鎖を目の当たりにしたことを覚えております。
不況の為新車が売れませんでしたので仕事が激減しました。


しかし新車は売れない代わりに修理の依頼の需要はありました。
弊社は架装工程を一貫して行えますので、いわばトラックにまつわるほとんどの部分の修理を行えます。
とにかく目の前のお客様に集中し、修理に明け暮れました。
この時の経験が今の弊社の強みであるアフターフォローに繋がっていると自負しております。
不況は続いておりましたが、数年後排ガス規制に伴い、新車の需要が高まり少しづつではありますが、盛り返すことになります。

景気の波に翻弄される

07この先の業界の為に出来る事

この先の業界の為に出来る事

その後景況感に強く左右されることはありますが、お客様のおかげで何とか今日まで事業を続けることが出来ております。
今後私たちが目指すべきは、お客様にとって安心頂けるサービスや環境を提供する事と考えます。
その為には自社の利益だけを追求するのではなく、積極的に他社と手を取り合い、協力、連携することが重要です。
お客様のご要望やお悩みは実に様々です。他社で最適なサービスが提供可能な場合は迷わずご紹介する。すべてはお客様の満足の為です。
次世代の担い手が安心してこの業界に進めるよう、これからの時代に必要とされるトラック架装業社を目指して参ります。

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